昭和59年5月18日 月例祭




まだ三代金光様がご健在の折、ある学院を卒業した、まあ学のない、まあ私みたいな先生じゃったじゃないでしょうか。方が、私は学がございませんので教師としてお取り立てを頂いたが、どういう心がけでお取次ぎをさせて頂いたらいいでしょうかというお伺いをした時に、金光様が仰せられた。親切一つあれば人は助かりますとおっしゃった。人が助かるほどしの親切とはどういう意味を内容とした親切、一般で言う親切とは違うように思います。人が助かるということは自らも助かること。いわゆる自他共に助かっていける、この親切が一つあれば人は助かると仰せられた。ね、そういう、私は今日は、親切をお互いが頂いておるとか感じておる親切、親切と思い比べて、改めて信心を進めていきたいと思います。
昨日、私は病院に参りまして、入口の所でぱったり西久留米教会の田中てるま先生(タナカテルマ)先生とお会いいたしました。聞きますと、今、親先生がここの病院に入院しておられます。脳血栓という病気。もう90になりますから。というようなお話でございました。私は病室に入ってベッドの中で御祈念をさせて頂きました。田中(タナカ)先生のことを。たら神様からお知らせを頂きましたが、今の方は髪が短いですけども、以前はみんな髪を長くしてましたね、女の方は。それをこう、時々洗う。洗って髪を前にふぁっとこう下げてね、梳き櫛でこーう、梳き上げておるところを(?)おられたんです。はあ、尊いことだなと。本当に、いわゆる神を結い上げるというか、自分の信心を清め上げる、ま、ご修行があってるんだと思うて、ま、あー、尊いことだと。非常に神様に向けて一途の先生でおありになりましたが、うーん、今が90って言われるから私よりも20やっぱり多かったわけです。えー、いうなら、あー、変人になれ変人とはすごいことと仰せられるように、ま、女ながらも本当にすばらしい変人のところがありました。東町教会の奥さんの義理のお義母さんになられますから。ある時私は当時、まあ、あー、あちらこちらの教会から大坪(オオツボ)さんに話に来てくれ、話に来てくれ、もう、いわば引っ張りだこでした。その時も、東、あー、一晩泊りで、あくる朝、えー、御祈念が終わりましたら、あの、田中(タナカ)先生が私のそばへみえてから、大坪(オオツボ)さん、もう昨日の話は、もう私は本当に今まで求めに求めておった、その、ことが本当にわからして頂いた。昨夜は本当に感動して休ましてもろうたと言うて、あのまあ、お礼というわけじゃないけども挨拶(?)そんなお話です。ね、どういうところに感動されたかというと、信心の成長ということを言うが、ね、例えば玉水の湯川(ユカワ)先生が教えられたという、お店をするならば、社長さん、店主は神様。そこのご主人は支配人。家内は女中頭と思うて。というような御教えがお聞きしておりましたね。ほいで、神様が社長であったり店主であったりするならば、従業員の私たちが頂いておる給料ぐらいなことではいけない。やっぱり社長は社長としての給料をお支払いしなければ、口だけで社長の、店主のと言うてもいけん。で、私は当時の親教会、三井教会に、いうならば、えー、神様にお供えをさせて頂くのは、ね、いうならば普通の従業員よりも少しは色を付けてお供えをさせて頂いておるという話を、そんな話をいたしました。それにもう、その当時、先生(?)60近いじゃなかったでしょうか、もう40年も前の話でございますが。んー、そのことを、もう今まで信心の成長、信心の成長と言うけど、もう一生懸命参るとか御用ができるとかちいうようなこつばっかり考えとったら、本当にそうですと。と、そこにあの、感銘されるくらいの何か求める心、求道心が多勢であったということを思います。ちょうどその朝、庄島(ショウジマ)の小学校の講堂で天理教の常岡(ツネオカ)先生のお話がある。大坪(オオツボ)さん一緒に行きましょう、切符を2枚頂いておるからということでした。ね、天理教の常岡(ツネオカ)先生といや、もう本当にお話の名人であんなさいましたが、天理教のお話が今言うように、お供えのことが大変、えー、信心の一つの条件としてね、えー、言われるお宗教なんです。私がこうやって、東京の日比谷公会堂でお話をするのに、マイクなしで私の声は通ると言われる。もう、出せば出すほどいい声が出るんだと。これは声だけではない。といったような持論ですよね、天理教的な。けどそういう先生の話に非常に魅力を感じられたんですね、当時。それで私を誘うて、あの私は参りましたことでございました。これはある時というか、もう、私の信心の引っ張りだこの時代から、もう人があんまり相手にしなくなった頃、私は今の西久留米教会の方へ用事があって参りましたら、西久留米教会がございましたから、ま、寄せてもろうて、えー、おかげを頂いたことがございます。いわゆる田中(タナカ)先生の連れ合い、田中(?)さん。大変有名な熱心なご信者でした。楽人さんでした。非常に熱心なことで、もう神様一途の、まあ、方だったと思いますが。教職は頂かんなりに、やっぱりその時も御結界に座っておられました。当時はあの芸者さん、芸子さんの置屋をしておられた。誰それともなると修行生の先生方がずーっと(?)さんの所に、今日、お供え物買いに行きよりますというて言よると、ならこれどうぞと言うて、あちらの、あ、あっちっこっちから、取引のある商店の通帳を渡されたという。何でもよいものを、この通帳、(?)で買うといてくださいという、そういう、まー、神様に対する一途なものを持っておられた。私が(?)教会に寄せて頂いたら御結界を立って、その(?)先生が、ま、どうぞと言うて奥の茶の間に私を案内してくださって。美味しい美味しい玉露をお茶を入れて、色々信心のよもやま話をしながら帰らして頂いた。もう40年ぐらいなるだろうけども、このことなんか思い出しもしなかった。今の田中(タナカ)先生と庄島(ショウジマ)の小学校に常岡(ツネオカ)さんの話を聞きに行ったことも、あちらに寄せて頂いて田中(?)先生の、もう本当に、落ちぶれて袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるるというように、落ちぶれてみて初めて人の心というものがわかるんだと。もうあんまり相手にされなく、誰からでもされなかった時代の私をわざわざ奥に招じて、しかもその美味しい玉露をよんでくださって。40年ぶりに改めて私は田中(タナカ)さんの心情に触れた思いがいたしまして、さっそく昨日は豊美(トヨミ)に送って、一緒についてきてくれますから、今日、昼、出てくる時に、あっちこっちにある小さい果物屋じゃ美味しいメロンはないから天満屋かなんかへ行って、もう最高に美味しい、最高に、高かってもかまわんから、お見舞いに、あの、持っていってくれないかと言うて、昨日、昼からお見舞いにやらして頂いたら、もうあの、物が出られないんだそうです。それでも大変、こう喜びの情を現わされて、こんな紙に、天に任せよ地にすがれよと、こう書いて、えー、こう、渡されたということでございます。まあ、現在のご心境がそうだろうと、こう思いますがね。それを40年ぶりにありありと思い出させて頂いて、ね、人の、ま、いうなら袖に涙のかかるような、私の場合は反対でしたね。もう、ありがた涙に暮れておる時分ですから。その私に、いうならば裏に招じてくださったり、美味しい玉露を入れてくださったりというような、あの、親切を改めて思うて、いうならば田中(タナカ)先生のことを聞いて、ね、やはり御祈念をさしてもろうたり、ね、お見舞いにやらして頂いたりと、まあ、いうようなことになったわけですけれども。私は親切というのは、なかなかやっぱり親切な人がありますけれど、ね、普通の人が言う親切を少し超えたものでなからなければ、三代様が仰せられたという、親切一つあれば人は助かりますということは、あなたも助かります。本当の親切をもってお取次ぎさして頂けば人は助かると仰せられた親切とは、私は普通でいう親切を少しは超えたものだと思います。キリスト教では愛を説きます。仏教では慈悲心を説きます。その愛の心、慈悲の心を一つにした心が、お道でいう神心となりてとこう、御教えの中にもありますように、神心だと思いますね。ね、その神心をもって接し、神心をもってそれに当たる時、それが人も助かる、自分も助かっていけれる、私は、ようなおかげにつながるというふうに思います。そして神様はそういうね、えー、いうならば親切心を、ね、きっと覚えておってくださる。私はもう忘れてしもうておったけれども、昨日、そんなお知らせを頂いたり、田中、今の田中(タナカ)先生のことやら、ご主人の田中(?)先生の、いうならば親切というものを、または求めて求めて止まない、はー、もう長年信心するけれども信心の成長とは初めて、えー、昨日、昨夜のお話でわかりましたと。夜に、あの、お話しをさして頂いた時の話を大変(?)がられたことなどをあれやら思い出させて頂いたわけですけれども、お互いの親切はどうなってるでしょうか。少しづつは本当の親切に向かって、えー、信心の心が成長していってるでしょうか。私は、親切というのはやはり、親が子を思う切実心だと思います。どんなに人が自分の子供のことを悪う汚のう言うても、言わるるような、いわば屑の子であれば屑の子であるほどかわいいのが親心じゃと仰せられる、これが心情なんだ。それが赤の他人の誰彼の上にも使えれるようになっていく心が育っていくということだと思うんですよ、信心の成長というのは。ね、その親切、そういう、いわゆる普通でいう親切を超えた、そこからその内容として慈悲心もありゃ、愛の心もあり。ね、わが心の中にも我情が取れ我欲が取れていくというような心が開けてくることを願いとしての信心。ね、親切一つあれば人は助かると金光様は仰せられた。その、人が助かるほどしの親切とは。ね、今も申します、いわゆる神心から生まれてくる心。それは、ね、人間に不同のいわば扱いをしない。難儀な、それこそ袖に涙のかかるといったような人の場合に、それが、そういう関わり合いがでけたとしたならば、ね、そこに情をうつし、心を込めて接せられるところの心。はー、もうあれが来たなら、もうあんまり物言うなと。ま、金どん借りに来たのかもしれんけんでっち、例えばいうような(?)あるんじゃないでしょうかね。だから私どもが言っておる親切のもう一つ越えた親切を、いよいよお互いの信心の心の上にも頂いて、ね、いよいよ人も助かり我も助かられる。最近合楽で言われる、救われるより救う身になれと仰せられる、いわば救う身になる。なら、なりたいと言うても、ただ普通では、私は人は助からない、ね。そういう、今日私が申します心情、親切というような神心をもって、初めて人を救うという、救う身になるということができるのである。人を救うということは、もちろん自分自身も救われていくことになります。もう一ぺん親切心をお道の信心をさせて頂くものは、ね、いわゆる自分の手元のところでです、自分の親切の不十分であるところを、まひとつ改めて、いよいよ信心にならせて頂きたいと思います。昨日、えー、田中(タナカ)先生のことから色々考えさしてもろうて、はー、本当、田中(?)先生のあの、当時の私に、ね、あの、玉露のお茶を出して、えー、以前、大坪(オオツボ)さん大坪(オオツボ)さんて言われておった時代と一つも変わらんようにして、まあ、お付き合いくださったといったような心が、いうならば、やはり親切というのではなかろうか。神心にもまた通うものであるといったようなことを改めて40何年ぶりに思い出してのお話でございました。どうぞ。